■スリランカ日報 古都キャンディの日本語教師編 -040929-

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んも〜かわいいなあ            この子も将来このご両親みたいになるのかしら・・・

 ダンブッラでタルーシャとの涙の別れを経てローカルバスでキャンディへ約2時間の道程。キャンディはスリランカの最後の王朝があった、山と湖の古都。日本で言えば京都か。


ダンブッラのバスターミナルへ向かう

 京都と言うと静かなイメージがあるが、さすがにスリランカ。中心部は排気ガスでもうもうとしている。渋滞でなかなかバスターミナルに着きそうもないので、途中でバスから飛び降りて徒歩で「セバナ・ゲストハウス」へ。安くてキレイで飯もうまい宿。

 
キャンディ市街に到着。古都と言えどさすがスリランカ第二の都市。喧騒が絶えない。


 今日は今回の旅で、タルーシャとの出会いと並ぶほど印象的な日だった。その感動を筆者の未熟な文書力で表現し尽くせるとは到底思えないが、可能な限り記しておきたい。

 セバナで昼飯を食っていると、怪しげな日本人のオッサンが「こんにちは」と話しかけてくる。見た感じは70歳くらい。
 オッサンが言うには、今日は、キャンディ郊外の山奥の小さな小学校で、日本語教室の開講式が行われるのだという。本当ならばこの先生ともう一人のスリランカ人の助手と二人で訪れる予定だったのだが、日本人がもう一人くらい冷やかしにいた方が盛り上がるので、ぜひ来てくれ、というわけである。1時間程度顔を出して、たまに子供向けの日本の歌を一緒に歌ったりすればよいとか。

 
「その学校っていうのはどこにあるんですか?」
 
「キャンディから車で30分くらいかな。ヘリコプターなら3分くらいだが、どっちがいいかね?」
 
「いや、あの、車で・・・。ところで今日中に仏歯寺だけは見ておきたかったんですけど、夕方までに戻れますか?」
 
「じゃあ帰りに車で寄ろう。あと、もし玉突き(ビリヤード)が好きだったら、一緒にどう?」
 「・・・ああ、ぜひ。じゃあもしお邪魔でなければご一緒させて下さい。ところで失礼ですが今おいくつくらいなんですか?」
 「たぶんそろそろ135歳くらいになるんでないかと思ったが、よく覚えておらんなあ。じゃあそろそろ行きましょうか。角さん、助さん、準備はいいですか」
 「はい、い、いいです」

 宿の主人とも旧来からの顔見知りのようで、悪徳な人物ではなさそうなのでついて行くことに。しかしどうも、不思議なオッサンである。発言の半分以上が冗談、しかも若干涼しめの冗談で構成されている。スリランカ人の助手であるジムも、日本に1年間ほど働きに訪れていてた経験があり、日本語が堪能なのだが、車中、彼と二人で先生のエセアメリカンジョークに苦笑し続けたものである。

 オッサンは、スリランカに11年住んでおり、スリランカの警察と日本大使館と共同で、さらに「日本財団」の後援を得て「ニッポン・クラブ」と名乗る団体を運営しているのだとか。スリランカの日本企業や個人などの支援や、日本とスリランカの文化交流、小中学校での日本語教育の支援などの活動を行っており、彼自身もスリランカの子供達に日本語を教える先生をやっているという。


 さて、オッサンのジョークに対する苦笑を連発するうちに、件の小学校らしき場所に到着した。それはもう実に山奥であった。ジャングルを切り開いたようなグラウンドと、木造の校舎。筆者達が校庭に到着すると、子供達がドワっと駆け寄ってくる。教室に入ると、みんな一斉に机を並べ、行儀良く着席する。まぶしいくらいたくさんの大きな瞳たちが我々3人を、とりわけ日本人である先生と筆者を見つめてくる。

 やがて、生徒の一人がつたない英語で挨拶をして、授業が始まる。ジョークばかり言っていた怪しいオッサンが、別人のようになっていた。口振りは相変わらずおどけているけれど、臨機応変に、いかに子供達に興味を持ってもらうか、そのために懸命になっていた。「ジャンケン」を教えたり、「ドングリころころ」を一緒に歌ったり、紙飛行機を作ったり。ジムも筆者も、打って変わってこの先生の熱意に感動せずにはいられなかった。先生のペースに惹き込まれるように、せっせと黒板に字を書く。大声で歌を歌う。子供達とジャンケンをする。画用紙を折る。

 一旅行者に過ぎない自分がなぜこんなところにいるのだろうか、という違和感は、不思議なことにすぐに無くなっていた。これまでの旅の中で、スリランカの子供達と言葉や笑顔を交わすことに馴れていたせいもあるかもしれないが、それだけではなかった。教室の子供達が、先生に対する視線と全く変わらない目で自分を見ている。先生も自分も、同じ「遠い国からはるばるやって来た友達」だと思っているということが強烈に伝わってきたからである。この教室にいる日本人は、先生と自分のたった二人だけだ。自分から一生懸命になって子供達とコミュニケーションをとらなければならない。そして何よりも、この子供達と心を通わせることができたらどんなに幸せだろうか、という思いが、自分がこの場に居合わせることの違和感に勝っていたのだと思う。

 たった1時間の、この山奥の学校で初めての日本語の授業が終わった。先生と助手、校長先生、運転手、そして筆者とでコーラを飲みながらお互いをねぎらう。そして先生がこう言った。


 「大成功だ。こんなに嬉しいことはない」



 
「ア、イ、ウ、エ、オ」
 
グーの人が勝ちでーす、みたいな。
 
紙飛行機の作り方も教えた


 キャンディの町へ帰り、ビリヤードをし、そして約束通り仏歯寺へ寄ってくれた。そしてセバナ・ゲストハウスの近くの「RYONS」というスリランカ家庭料理のレストランでささやかに乾杯。

 実は先生もセバナ・ゲストハウスを根城にしていたので、最後は先生と二人でセバナに帰ることに。部屋の前で別れ際、先生が改めて最高の言葉を筆者にくれた。

 「今日は本当に最高の日だった。ありがとう」

 部屋に帰り、この言葉の意味を思い起こしてみる。そして、考えれば考えるほど、「自分は本当に運がよかったのだ」、と思う。先生は筆者に最高の言葉で礼を言ってくれたが、無論筆者は何もしていない。当初は興味本位でついていっただけである。
 では先生は、なぜ6時間ほど前に会ったばかりのどこの馬の骨とも知れない若者にこのような感動的な言葉を投げかけたのか。それは、今日成し遂げたことが彼にとって本当に大変で素晴らしい事だったという証ではないか。そして筆者は、豪勢なスリランカ料理に加えられる一振りの香辛料のように、先生が成し遂げた素晴らしい歴史の一片として先生や子供達の記憶に残ることができたし、その歴史の現場にまさに居合わせることができたのである。
 筆者は、「偶然この日この場所で昼飯を食って素晴らしい先生に出会うことができた」という幸運を持ち合わせていただけなのである。それはとても幸せなことだ。

 一日の最後に部屋で飲むライオン・ビアーが、明日も最高の味であればいいと思う。



玉突きをする助手のジム。筆者の方がうまかったかな。
 
仏歯寺のシンボル、八角形のお堂             ワ、ワニ
 
                                   これは月。なんとスリランカの月にもウサギが!要拡大!
 
ここに「歯」が格納されているのだとか。          菩提樹はどこでも鮮やか
 
日本の山寺のような雰囲気を醸し出す          この鐘なんかもう醸し出し過ぎ
 
なぜか教会も。イギリス人向け?
 
この島、なんだっけ?離宮だっけ?忘れた。

先生と祝杯を上げた家庭料理レストラン「リヨンズ」