■ラオス日報2005 ビエンチャン上陸編 -050718-


寝台列車より


 日の出を見ようと5時に目を覚ます。デッキのドアを開けて車外へ身を乗り出し、明るむ空を見渡す。汽車は結構なスピードを出しているが、梅ヶ丘屈指のハードボイルド派で知られる筆者のことである。恐怖感よりも、風に髪をなびかせる爽快さの方が勝っているのは言うまでもない。
 ところが、太陽は一向に姿を見せない。さらに、列車は北へ向かっているのだから進行方向右側の空が赤みがかってくるはずなのだが、おかしなことに左側の空が赤みを帯びてくる。
 結局、太陽は姿を現さないうちにすっかり夜が明けてしまった。おそらく地平線付近に雲が多く、隠れてしまったのだろう。方角については、列車が思ったよりも西よりの進路を取っていたのだろう。
 もちろん世田谷区屈指のハードボイルド派たる筆者は、日の出が見られなかったことなぞ気にもかけず、颯爽と寝台に潜り込み、二度寝をたしなむことにする。

 やがて朝食だといって車掌に起こされる。車内食は昨日に引き続き香草香るお粥である。香草というのは朝から食欲を煽ってくるものである。添えられたオレンジジュースは危険な香りがするので手を付けないことにする。

 

 異変が起こったのはこの後である。タイ側の国境の町であるノーン・カーイ到着予定時刻は9時半のはずであったのだが、8時頃停車したお粗末な駅で周囲のタイ人の乗客がゾロゾロと降りていく。聞いてみると、なんとこの先ノーン・カーイまでの区間で何らかの事故があり、このコーン・ケーンという駅からバスでの振り替え輸送が行われるというのである。
 しかもその誘導っぷりは極めてカオス感に満ち溢れており、駅前の広場の様々な場所から、様々なバスおよびソンテウに人が乗り込んでいく。どこで待ってどの乗り物に乗ればよいのか、全く想像の及ばないスペクタクル・ファンタジーが目の前で展開されていく。
 その圧倒的な濁流に呑まれるように一台のバスに乗り込み揺られること2時間半、ようやく道端のへたれた看板に「Nong Khai (ノーン・カーイ)」の文字を発見するのであった。


突然のトラブルに混乱するコーンケーン駅前 振替輸送用のバスの車窓より

 イミグレが終わると、ビエンチャン市街までのソンテウ乗り場へ。ソンテウには既に旅行者が多数乗り込んでおり客席には辛うじて1名座れるか座れないかのスペースしか無かったため、小柄な相方のみがその客席に導かれ、比較的脂の乗っている筆者は運転手の兄ちゃんの隣の非常にアクロバティックな席へと詰め込まれる。しがみついた右腕をうっかり離せば未舗装の地面にご挨拶できるという特等席である。

 右腕の筋トレをしながらスペシャルシートで揺られること約30分。いつのまにかビエンチャンの中心部へ到着する。ビエンチャン初訪問の相方などは、この首都のあまりのメトロポリタン具合に、一瞬寂れた郊外の路地で降ろされたのでは、と勘違いしたことであろう。そう、この砂煙の舞う(=8割方未舗装の)鷹揚とした雰囲気の(=人が少ない、人々の動きが遅い)大首都、ビエンチャンの地に再び降り立ったのである。

 などと格好のいいことを書きつつ、早起きして日の出にフラれ、朝からファンタジックな乗り換えにドタバタし、ソンテウのスペシャルシートで右腕の筋トレをし、と試練続きの我々は、朦朧とした頭で「クーラー」、「水」、「シャワー」などと繰り返しながら写真撮影もそこそこに宿へと歩を進めたのであった。

 宿は、3年前の時もあまりの居心地のよさに長逗留した、「ドゥアン・ドゥアン・ホテル」。到着したときには13時半を回っていた。シャワーと洗濯を適当かつ迅速に済ませた我々は夕刻の屋台向けの時間まで昼寝をたしなむことにする。



 メコンの屋台は3年前と何も変わっていない。前回は9月の終わりで今回は7月半ばということで、河畔の風景にどのような違いがあるかと思ったが、水位は前回より若干低いくらい、あと大きな違いといえば、河原には前回は見られなかった大量の雑草が生えていることである。雑草とは雨期の後半よりも前半の方が多く生えているのであろうか?

 適当に席に着くと、お姉さんがメニューを持ってくる。英語は話せないようだ。とりあえずビアラーオを二本頼む。


揚げ春巻

 西の地平線には厚い雲が横たわっていて、日没の瞬間は見ることができなそうだが、大小の雲が刻々と違う色合いを見せ、飽きさせない。メコンの対岸はタイなのだが、タイ方面の上空にある厚い入道雲が、時折激しい雷光を抱く。あの下はスコールに見舞われているに違いない。こちらへやってくる頃には水滴を全て搾り尽くしているだろう。

 

メコン河畔の極上の屋台街                   対岸はタイ北部


 相方は、この河の対岸が先ほどまで滞在していた別国だということを、しきりに不思議がっている。さらに言えば、こちらは一国の首都ビエンチャン、対岸はタイの中でも辺境中の辺境にある小さな集落。筆者にとってもピンとこない事実である。しかし国境たる大河を挟んでいても、言葉も文化も似たり寄ったりのタイ・ラーオ族同士。お互いに異国という強い意識は無いのかも知れない。いつか一度、この対岸のタイ側の土地を訪れてみたいものである。

 厚い雨雲の名残とともに、強く湿った風が河畔の屋台を襲い始めた。テーブル上の簡易キャンドルが次々と倒れていく。闇が濃くなる中、残りのビアラーオを空ける。

 河畔の屋台を離れ、〆のセンミーナームを求めて市街へ戻ることに。普段東京で摂取している〆のラーメンは筆者の腹部脂肪にとって大層な影響を及ぼすが、あっさりしたセンミーナームなら大したことはあるまい。梅ヶ丘屈指の美食家たる筆者にとって、その辺りのカロリー計算は朝飯前である。

 3年前に行きつけだった食堂を訪れる。筆者が密かに写真に撮り、出発前夜の日報のトップに掲載させていただいたあのお姉さんの店である。
 行ってみると、なんとあのお姉さんが変わらずにセンミーナームをこさえているではないか。筆者は激しい懐かしさを覚え、何か話しかけようかと思ったが、先方に取ってみれば訳が分からないに違いない。相方にだけその驚きを告げて、極上の家庭料理に舌鼓を打つ。食器を運んでいる小さいのはお姉さんの子供たちか。



 明日は「ラオスの桂林」と呼ばれる「バンビエン」という小さな町を目指す。