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■中国西域日報2006 敦煌編 その2 -06/09/11-

 今日は朝から二つの事件。

 まず、右目から使い捨てコンタクトレンズの破片が出てきた。
 実は北京入りの日の夜、コンタクトを外そうとした際に、右目のコンタクトが目に張り付いて一瞬動揺して半分だけがちぎれてしまい、残り半分の破片を見失ってしまったのだ。その残りの破片が、周囲や目の中を探しても全く見当たらない。
 何となく目の奥に違和感があるといえばあるものの、どうしようもないので取りあえず放置しておいたのだが、今日の朝目の中を洗ってみると、なんと白目のところにそれらしきものが現れたというわけである。恐らく目の裏側にでも入っていたのだろう。

 続いての事件だが、ひょんなことから朝食を従業員用の小部屋でとることになった。朝食の時間がレストラン側に伝わっていなかったらしく、レストランの席が団体客で埋まってしまっているらしい。まあ、ある意味個室なので特等席といえばそうなのだが・・・。


 さて、今日は車をチャーターして、敦煌郊外のヤルダン地質公園、玉門関、陽関、西千仏洞、白馬塔を回る。

 車は比較的新しい、そして今回初のオートマの、シボレー。狭い国道を120キロ以上の豪速で次々にアグレッシブな追い越し芸を繰り返す。狭いところになると道幅は1台分しかなくなるので、仕方なく脇の砂利道をもうもうと爆煙を上げながら激走して追い越す。


爆走する車窓に広がる一面の荒野

 そのような超人芸の甲斐あって、敦煌市内から160km離れたヤルダン地質公園に約2時間で到着。

 ヤルダン地質公園は、言わば敦煌版グランドキャニオンである。数百万年かけて風化した赤く巨大な奇岩群が壮大な光景を作り出している。


荒野の中に突然雄大な奇岩群が現れる


 ただ、問題は、いくつかの岩に与えられたネーミングである。どのようにお世辞を述べたとしてもただの縦長の岩にしか見えないようなものに、「自由の女神」などと命名したり、どのように趣向を凝らした比喩を用いたとしてもただの横長の岩としか言いようがないようなものに、「スフィンクス」と銘打ったりしている。


問題の「スフィンクス」


 いずれにしろ、ヤルダン地質公園は想定外に面白い見所であった。敦煌といえば仏教遺跡や漢代の遺跡のイメージが強かったが、まさかこのようなスケールの大きな大地の自然を満喫できるとは。


このマイクロバスで公園内をまわる
 




玉門関。旧万里の長城の最西端の関所。かつてこの付近の大地で中華と遊牧民族の戦闘が行われていたのか



 玉門関に立ち寄った後、陽関の付近で昼食。敦煌の郊外には、いくつものオアシスが点在し、それぞれ小さな集落を形成している。今日通りかかったオアシス集落では、いずれもブドウの栽培がさかんらしく、昼食をとった食堂でも、ブドウを提供してくれた。


昼食を摂った食堂。ブドウ棚の下は涼しい
 
長大なる麺に辟易する助手兼妻。                     この麺をこの具汁にからめて食べる。トマトも入るなど、若干西洋風な味付け。さすが西域

食堂の外のトイレ。「男」の文字が辛うじてここがトイレであることを示してくれる

食堂のそばで素晴らしいポプラ並木を見つけた。嗚呼、これぞシルクロード

 ちなみにドライバーのオッサンは、当然のように我々のご相伴に預かっている。それどころか、勝手に注文までする有様である。言い商売だ。まあ、どこか憎めないオッサンなのではあるが。


終始無口な、どこか憎めない爆走ドライバーのオッサン。

 玉門関、陽関はいずれも古代の関所跡で、漢代などいくつかの時代においては、「これより先が異民族(漢民族以外)の住む西域である」と定めらるような重要な関所であったという。
 いずれも風化が激しく、人によっては「なんじゃこりゃ」と言われそうなしょぼくれた遺跡であるが、遥か古代にこの何もないような広大な大地を舞台にに繰り広げられたであろう、漢民族と周辺の様々な民族との攻防や交流を思うと、つい地平線に目を凝らしてしばしたたずんでしまう。


陽関。大陸の空と雲に言葉もない





 最後に、西域の高僧、鳩摩羅什ゆかりの白馬塔に立ち寄る。いわゆる、仏塔(Pagoda)というもので、東南アジアの国々で仏塔ばかり追いかけてきた筆者としては何やら懐かしい感覚を覚えてしまう。だだっぴろい広場の真中に真っ白な仏塔がある空間というのは、なぜか非常に落ち着くのである。一瞬ラオスかミャンマーにいるような錯覚に襲われるが、回りにポプラの木が整然と並んでいることが、ここがシルクロードの地であることに気づかせてくれる。


鳩摩羅什ゆかりの白馬塔。ラオスやミャンマーを彷彿させる

白馬塔のそばで麻雀を行う女性達。日本とは異なり非常にほのぼのとした麻雀風景である

 宿に戻ってドライバーのオッサンと別れ、これから晩餐である。

 今夜は、「歩き方」に掲載されていた、「敦煌風味鶏湯面」の店を訪れる。しかしながら感想として、
 「嗚呼、やっぱり日本というのは食い物の美味い国だなあ」
 ということを思ってしまった。

 一日目に四川飯店を絶賛しておきながらアレであるが、アレはあくまでも高級な飯である。庶民が普段口にする料理に関しては、あまり質の高いものは求められないのであろうか。例えば、日本のラーメン屋やカレー屋、定食屋などと比べると、どうなのであろうか。
 中国でも、基本的に、「麻ラー」などと付く辛い料理や、油ギラギラで炒めた料理などは比較的美味だが、それ以外の分野では金を掛けないと美味なものにありつけないのだろうか。そういえば今日の昼の陽関の飯も、まあまずくはない、という類であった。
 明日以降、庶民派の飯屋に注目していきたい。中華庶民派の雪辱なるか。


敦煌市街の商店街


 帰りに、昨日と同じ酒屋で、白酒(超アルコール度数の高い蒸留酒)の一種らしい、「シールーチュン」(シンルチュウではない)を購入。酒屋のおばちゃんイチ押しである。

 明日は莫高窟を訪れる。


酒屋のおばちゃん一押しの白酒(パイチュウ)